パラレルですよ〜 大丈夫な方はスクロール







































こだわり続けた矜持すら、
全部投げ捨ててでも手に入れたいと思った。
でも、投げ捨てる前に、
俺の手に落ちてきてくれた。
本当に敵わない。
アナタを手放す以外なら、
腹を見せて転がって、
牙を抜かれたケモノのように、
身も心も、アナタに全て
無条件降伏。


無条件降伏。





夏も盛りの最中、暑さは最高潮に達し、照り付ける日差しは容赦無く降り注ぐ。
アスファルトから立ち上る熱気に、ユラリと揺れる逃げ水の光景。
一歩踏み出す度に、顎から汗がつたい落ちるのが、酷く鬱陶しい。

「…脳味噌、沸騰しそ…」

呟いた自分の言葉で、更に暑さが増したような気がするのは、どうしてだろうとカカシは思う。
「熱があると判っていても、実際体温計見るまでは普通に動けるのと一緒かねぇ…?」
 手土産として携えたスイカが、やけに重く感じてしまう。普段ならばこの程度の重みなど、何とも思わないのに。
夏の風物詩たるこの姿を見た瞬間、衝動買いしてしまった事に、今更ながらに後悔を覚えた。
月契約している駐車スペースからの徒歩、ほんの数十メートルの道程がこの上なく辛い。
車内で冷え込む程にクーラーを効かせていた反動だと、分かり切ってはいるのだが。
「だって窓開けても、吹き込む風は熱風だしさ」
誰に問われた訳でも無いのに、つい言い訳じみた言葉を零してしまうのは、いつも彼に同じ事を咎められているせいだろうか。
夏のこの時期、大概の人間は帰省ラッシュに揉まれながらも忍耐強く、親元へと帰郷するらしい。
ご多分にも漏れず自分の恋人、 うみのイルカも現在帰省の真っ最中だ。
とは言っても、今日の夕方にはこちらに戻ると言っていたが。

「イルカ先生酷い…オレを置いていくなんて」

イルカの両親は既に鬼籍に入っており、帰省した所で誰が待っている訳は無いという。だが、彼の郷里に代々の墓があるらしく「墓参りしてきますね」と出立前の会話にあった彼の言葉を思い出す。
さすがにその一言を聞いては着いて行くとも言い出せず、現在に至る。

「だって、ねぇ…」

カカシはイルカの両親に顔向けできないと、自分できちんと理解している。

「まさか、『息子さんを頂いちゃいましたv』と、手を合わせる訳にも行かな〜いでしょ…」

イルカの体どころか、その将来すら自分に繋ぎ止めた過去を思い出し、カカシはひとり苦笑する。
どうしても欲しかったから手に入れた。
心の存在を後回しにして、先に体だけを陥落させた。
彼が自分を忘れないよう、彼が自分から離れられないよう、一生消えない所有印をイルカの肌に刻みつけて縛り付けたのだから。
所有印──カカシがそう嘯く、見事な刺青は、数年たった今でもイルカの背に鮮やかに咲き続けている。
左臀部から右の肩口にかけて、斜めに這い上る緋色の牡丹。
その光景を思い出し、カカシはうっそりと笑う。
健康的な、だけど日焼けしていない肌に存在感豊かな赤。
健全な彼に咲いた、退廃の象徴。

「あれは見事だよねぇ…」

名のある彫り師ではなく堅実的な仕事をする者を探して、図案から彫る場所の微妙な指定までを煩く注文したのだ。
当然、彫ってる間はずっと傍に居座り、針の痛みに呻くイルカの顔を凝視して、あらぬ所が熱くなりかけたのを思い出す。

「…先生、ヤラしいんだもん…」

一針毎に寄せられた眉、顰められた顔、咥えたタオルの間から漏れる呻き声。
今でも鮮明に思い出すことが出来る程に、クルものがあった。
その数時間後には、当然ベッドで同じ表情をさせたのだが。
そしてそんな事を数回繰り返し、出来上がった見事な牡丹苑。
カカシだけが見ることを許され、その全貌は持ち主のイルカ自身すら見ることは敵わない。
何度もそこを繰り返し愛撫して、今では服越しに触れるだけで体が期待に揺れる程になった。
いつしか体に心が追い付き、イルカはカカシの全てを享受し、抱かれる事を受け入れた。
やっと時間を共有して抱き合い、穏やかな口づけを交わすことのできる関係にまでになったのだ。
だが、やはり体から堕としてしまった事実が、カカシの心に横たわり常に不安がつきまとう。

「嫌なことは嫌だってハッキリ言う人だってのが、ありがたいけどね」

ついでにその時の機嫌が表情に出る、素直な所もありがたいとカカシはひとり笑う。

「でもスッゴイ頑固者」

一度決めた事、もしくは口に出してしまった言葉は、どんな事態が起きようとも覆る事が無いのだ。
 それはイルカの魅力であるが同時に、その頑固さがカカシの不安を煽っていたりするのだが。
強引に関係に及びながらも一度は諦めかけて、そして再度惹かれ合った。今思い返しても奇跡にも思えるイルカの心の変化。
今現在、イルカはカカシを受け止めてくれる。カカシを取り巻く環境を含めた、全ての事を。

「嫌いじゃないって言ってくれた」

無理矢理イルカの肌に施した、艶やかな牡丹。
忌まわしいとさえ言える経緯を持つそれの所在を、イルカは許した。
今まで何かに執着した事は無かった自分が、形振り構わず手に入れたいと思った存在。
時折、自分でも怖いと思ってしまう程の執着。
何故こんなにも惹かれるのか、理由を探しても曖昧で、出会った時の事を振り返っても、ただ視線が縛られたとしか覚えていない。
運命なんて言葉は嫌いだが、あの出会いを一言で表すならば、確かに『運命』としか言いようがない。

「手に入れる為の行動力と財力が自分にあった事に感謝、だよね」

当然、行動力も財力も、培って来たのはカカシ自身であり、他の誰でもないのだが。
では、誰に感謝を捧げるべきか。
神などではありえない。

「ん〜、過去の自分にかな?」

そして、そんなカカシを受け入れてくれたイルカにも、最大級の感謝と愛情を──。
諸手を挙げて、全てを包んで。





「わ〜、イルカ先生の匂いがする〜」

貰った合い鍵で入り込んだ、イルカの住むアパート。
一歩入り込んだ瞬間から、紛れもないイルカの匂いが全身を包み、何とも癒される気がするのは何故だろうか。
癒し系と表現すれば、嫌そうに顔を顰める彼の表情を思い出し、玄関先で無造作に靴を脱ぎ捨てながらカカシは笑う。
ゴロンと眼前に転がる、スイカの存在に首を傾げ思案する。

「買ったは良いケド、どうやってコレを冷やそ?」

イルカの部屋の冷蔵庫は、一人暮らしに相応しく慎ましやかなもので、こんな巨大なものが丸ごと入るようなスペースは無いだろう。
だからと言って、半分に切ってしまいたくはない。
子供じみた感覚だと自覚してはいるのだが、この丸々とした見事な姿をイルカにも見せたいと思ったのだ。
ビニールロープで格子状に編まれた袋の中、鮮やかな緑と黒の鈎裂きストライプ。
それを分断してしまう事に葛藤を覚えつつ、カカシは丸い球体を目線まで捧げ持ち、不意に浮かんだ不埒な想像を思わず正直に口にする。

「…これって、亀甲縛りっぽい…」

安っぽいビニールの縄が寄り合わさって模様を作る様が、アングラポルノのグラビアを彷彿とさせる。
だが、呟いた言葉が誰に伝わる事無く消え去り、カカシは妙に寂しい気分になった。
ここにイルカが居たのならば、確実に顕著な反応や言葉が返ってきたのにと。

「きっと真っ赤になって、『しませんからね!』とか墓穴掘っちゃうんだ」

想像してクスクス笑いながらも、酷く虚しく寂しかった。
イルカの存在が色濃く残る彼の部屋に、カカシ一人で佇む現実を突き付けられて。

「こんな暑い日は、イルカ先生とグチャグチャにHして、そのあと水風呂〜とか最高なのに」

溜息をついた所で一人なのは変わらない。

「あ、風呂って手があったか」

自分がぼやいた内容に、手の中で温みを増すスイカの存在を思い出し、風呂場へと歩き出す。
狭い一人暮らし用のアパート。数歩で辿り着いたその場所で、カカシは家主に心で断り浴槽に水を溜めてスイカを水没させる。
水道代金が跳ね上がるようならば、後で請求してもらうか一食分何かを奢るかしようと思いながら。
早くから独り立ちをして苦労を重ねていたらしい分、イルカは生活費等の節約に余念が無い。
だからと言ってカカシに寄りかかるという事も有り得ないのが不思議なのだが、どうやら彼的には『自分で稼いだ金銭』というものに拘りを持っているように思える。
以前カカシが何気なしに「イルカ先生の一人位、養えますよ」と不用意に発言した所、三時間以上口を利いて貰えなかった事がある。
ベッドの上、臨戦態勢だったのにも関わらずに、だ。
カカシとしてはイルカと暮らしたかっただけで、何の含みも無かったのだが、イルカとしてはいたくプライドが傷ついたらしい。


「確かに…俺はあなたの愛人という立場に居ます…けど、どうしても譲れない一線ってのはあるんです」


一番顕著なのが、金銭面での依存。
だけど、今の現状を省みれば、セックスをする以外はまるで友人関係のようで、カカシはやはり不安になる。
目に見える鎖──刺青──を施した今でさえも。
今の自分達のスタンスは、良く言えば同等なのだろうか。
カカシの愛人であると自分で明言しながら、寄りかかりたくないというイルカの言い分。
男として何となく理解できるのだが、そんなに一人で頑張らなくても良いのにと、カカシは思ってしまう。
価値観の違いと言ってしまえばその通りなのだが、それだけで終わらせて良い問題でも無い気がするのだ。
この問題をクリアしない限り、同じ場所を堂々巡りし、不安はいつまでも付きまとうだろう。

「いつまでも恋人気分ってのは幸せではあるだけどさ〜、恋人って事はお別れもアリってコトなんだよね〜」

だからと言って男同士で結婚などは有り得ない。
カカシは浴槽に沈めたスイカを見つめ、深く溜息を吐いた。

「…何か、滅入るねぇ…」

 呟きは蛇口から滴った一滴の波紋と共に消え去った。





勝手に上がり込んだ主不在の部屋を渡り、窓辺に置かれたベッドへとカカシは倒れ込む。
ボフっと柔らかな布団の感触と、日向の匂いに、イルカを思い出し悲しくなる。
何よりも、部屋に残る濃厚なイルカの気配に。

「あ〜もう! 早く返って来てよ、イルカ先生…」

自分の出張等でもっと長い期間、会えない時もある。
だけど、状況が違うとカカシはごちる。
郷里──今までのイルカを育んできた場所。そこにはカカシは立ち入れない気がする。
否、自分のような存在が容易に踏み込んではいけないと思っている。
精神的なものなのかも知れないが、自分と会うまでの過去のイルカを見せつけられるような気がして、切なくなる。
そして、帰って来ないかもしれないと、不安になって立ち竦む自分が居て、居たたまれなく惨めな気持ちが滲んでしまう。
自分との関係を認めてはいるイルカが、どこまで自分を許容しているのかが量れなくて。
際限ないカカシの独占欲。
それは、イルカに愛されているという自信が無いからかもしれない。

「だって、ねぇ…」

最悪の始まり。
拉致・監禁・拘束・調教。
趣味丸出しの仕打ちをフルコースでした覚えがあるカカシは、過去の自分に舌打ちする。
だが逆に、その経緯が無ければ、今の状態は無かったのだと思い直した。
普通に出会う等、あり得ない。
万一あり得たとしても、イルカの背に、花は咲かなかっただろう。
閨の中、眺める度に溢れる独占欲の波が、凪ぐような気がした。
イルカが自分のものであるのを、目で見る形で確認出来て。

「せめてね、『好き』くらいは言って欲し〜いよね…嘘でも良いから」

自信は無いが、好かれている気はするのだ。だが、イルカは頑なに好意を表す言葉を口にはしない。
表情や態度は、あからさまな好意を表しているのにも拘わらず。

「…嘘。嘘でも良いなんて、嘘」

前言撤回しながら、カカシは枕に顔を埋め、自分の情けなさに泣きそうになる。
一人でイルカの部屋に居る。それだけで不安が次々と溢れ、心がどんどん弱く萎んでいってしまうのが、不甲斐ない。

「も、イルカ先生だけだよ…オレをここまで弱らせるのは」

消え入りそうな程小さく囁いて、カカシは枕を抱き込みゴロリと寝返りを打った。
寂しくて不安が付きまとうが、イルカの匂いが凹んだ精神を優しく撫で、平坦にしてくれるのを慰めに、カカシは瞼を閉じ世界を拒絶し始める。
 窓から入る西日の加減で、日が暮れつつあるのを感じながら、緩やかな眠りの世界へと飛び込んだ。
寝起きは最悪、寝付きは最速。
自他共に認める短所と長所だった。





酷く幸せな気分が漂う空間。
フワフワとした意識の狭間で、カカシは微睡みを楽しむ。
髪に触れる感触に、知らず唇に笑みが刻まれた。瞼にかかる前髪を、優しい仕草で掻き揚げられ、額に柔らかな感触が降る。
それは額から始まり、瞼、鼻先、頬を辿って唇に落ちる。
覚えのある感触──ああ、これはイルカのキスだと、カカシは漂う思考の片隅で理解し、あまりにも優しいその感触に無意識で唇を開いて、舌先を小さく差し出した。
一瞬の間。
多分、驚いたんだろうなと予想しながらも、カカシは眠りから抜けようとはしなかった。
これが夢ならば、醒めるのが惜しい気がしたから。
そして目を閉じ、舌先をチロリと覗かせた間抜けな状態のままで相手の動きを待っていれば、外気に晒されて乾きかけた舌を潤すように、生暖かく滑った感触が、一頻り遊ぶように擽った後、カカシの唇を柔らかく乾いた感触が覆った。
 開いたまま、そして突き出されたままの舌を吸われ、甘噛みされて溢れる唾液を成り行きで嚥下すると、小さく笑う気配がした。

「…ん、せんせ…?」

息継ぎの為に離れた間で、カカシは夢うつつのまま問いかける。

──寝ぼけてるんですか?

柔らかな声音で落とされた問いかけは、確かに求めてやまない人のもので、カカシは寝ぼけた状態で腕を伸ばし、真上から自分を見つめているであろうイルカを抱き留める。

「…オカエリナサイ」

──…ふふ、只今帰りました。

頬に落とされる唇の感触。

「せんせ、タダイマのチュウはちゃんと唇に下さ〜い…」

──寝ぼけてる癖に、何言ってるんですか、もう…。

苦笑する気配と一緒に、前髪が小さく引っ張られる。

そして、重なる唇の感触。
気配も匂いも、部屋に残った残像とは比べものにならない程に濃厚で、カカシは抱き締めた体温を満喫する。
重ねられただけの唇を舐め上げ、促し、貪る深いものへと変化させる。

──いい加減、目、開けて下さいよ…。

拗ねたイルカの囁きに誘われ、張り付いて離れない瞼を無理矢理にこじ開ける。
夢うつつから現実へ。
覚醒する無防備な瞬間、視界に映る一番目が、イルカの笑顔だという幸せがそこにあった。





「お早うございます。って、もう夜なんですけどね」

未だぼんやりと横たわるカカシの胸に添うように乗り上げ、イルカはワザと体重をかける。
敷き込んだカカシの体。
帰省も含めて暫く振りに触れたその感触に、思わず懐いてしまいそうになる。

「え? マジで、イルカ先生…?」

瞬きを数回繰り返し、夢から醒めたばかりのカカシがイルカを確認して瞠目する様が可愛いと、イルカは思う。

「アナタにキスする人間が、他に居るならそっちに行って下さい。で、俺んトコにはもう来ないで下さいね」

カカシの寝起きの悪さを身を以て知っているイルカは、悪戯っぽく笑い、拗ねた内容の言葉を笑いながら言えば、半分寝惚けた状態にも係わらず、途端に焦るカカシの姿にイルカは吹き出すのを止められなかった。

「へ? あ? 来るなって…」

言葉の要所だけを覚醒していない耳が勝手に掻い摘んで拾い、カカシは目に見えて慌てる。当然、『他』などある筈も無いのに。

「ですから、『他』が居るなら、ですってば」

胸の上に、イルカがクスクスと可笑しげに笑う振動を感じ、カカシはやっと揶揄われていたのだと、鈍い頭で理解した。

「他なんて居る訳無いでしょ〜ッ」

「そうなんですか?」

否定してもサラリとかわされるが、揶揄われていると判った以上、焦る必要もないとカカシは改めて自分の上に乗り上がったイルカの体を抱き締めた。

「カカシさん、寝るのは構わないんですが、こんな暑い日に窓も開けずに居たら、脱水起こしますよ?」

その言葉に、細く開けられた窓から、夜の風が吹き込んで来ている事に初めて気が付く。
やはり暑かったらしい室内で、汗ばんだ体にシャツが張り付いているに今更ながら気付くと、温いなりにも吹き込む風が、酷く心地良いものと感じる。

「それと、西瓜。ありがとうございます。あんな大きな西瓜、持ってくるの大変だったでしょう?」

「あ、風呂に突っ込んだアレ、気付きましたか」

「吃驚しましたよ…風呂の準備をしようと思ったら、存在感豊かな物体が先客に居たんですから」

「スミマセン…何か、半分に切りたくなくって」

「何となく判ります。あんなに見事な西瓜、誰にも見せずに切るのは勿体ないですもんね」

イルカの言葉にカカシは笑う。
確かに、自分は丸いまんまのあれを、イルカに見せたかったのだと。
そしてカカシがそれを告げずとも、イルカはその心情を拾ってくれる。

「でも、イルカ先生ん家の冷蔵庫は小さすぎですよ〜」

「一人暮らしなんですから、アレで丁度良いんです。普段は」

暗にカカシの存在を除去した普段の生活を示し、イルカは眉尻を下げて笑う。

「オレもアチコチ飛び回ってたりして、居ない事を多いけどね〜、今回はたった数日なのに堪えました」

腕の中のイルカの体温。
それを独占するかのように、カカシは抱き締める腕の力を強くする。

「それは…アナタは滅多に待つ事は無い人ですからね」

笑いながらもどこか痛々しさが垣間見えるイルカの表情。
カカシは腕の中のイルカを引き寄せ、首筋に鼻先を埋めて呟いた。

「…しんどかった。イルカ先生は毎回、こんな気分を味わってるのかと思うと、余計に寂しかった」

「それは…」

カカシの言葉に何かを返そうとするイルカの言葉を遮り、顔を上げた彼前髪をかき上げて視線を合わせてカカシは更に続ける。

「アナタは言わない人だから」

「そんなこと…」

先程垣間見えた痛々しい表情。
それが全てを物語っていると、カカシは確信する。

「あるでしょ? イルカ先生の部屋に一人で待ってる間、匂いや気配は確かに残ってるのに、肝心のアナタが居ない…凄く寂しいです」

イルカ先生はそんな事無い?
そう視線で問いかけるカカシに、イルカの表情がクシャリと歪んだ。
そんな事を言うカカシに、今更だと無理に微笑んで。

「そんな事、しょっちゅうです…」

震える声で呟き、しがみつく指先に力が隠る。

「アナタを待つのは俺の権利だと思いますけど…本当は何時か来なくなるかもしれないアナタに怯えてます」

「先生」

「だから…この部屋に、カカシさんの私物、置かせないでしょう…」

カカシが来ない日、目の前にカカシに由縁のある物があったのなら、間違いなく自分は居ないカカシを恨んでしまう。

「もう、これ以上俺を弱くしないで…」

弱々しく囁かれるイルカの本音。
カカシは呆然とそれを聞く。
不安なのは、自分だけではなかったと初めて知らされ、確かに今更だと自嘲する。
イルカとこんな関係になって数年。
その数年間今まで彼はカカシに待つ事の寂しさ悟らせず、さりとて離れもせず、ただ待っていたのだ。
気付かなかった、では済まされない気がした。
そして、イルカにそんな思いをさせ続けてきた自分を、酷く不甲斐無い男だとカカシは唇を噛む。
抱き合い、服越しに触れる体温。
確かにここにある筈なのに、お互いが不安に苛まれる葛藤。
やはりと、カカシは考える。
何とか近づく手段を講じて。

「ね、イルカ先生…」

呼びかければ俯いた顔が上げられ、黒い瞳が自分を映す。
それに嬉しさを感じながら、カカシは誘いの言葉を口にした。

「やっぱり一緒に暮らそ?」

「…それは…」

何度言ったか知れない。
その度に断られて来た提案。
ご多分に漏れず、今回もイルカは表情を曇らせて断りの言葉を口にしようとしているのだ。
だからカカシは先回りして、イルカが拘る部分を言葉で埋めていく。
姑息だと自覚しながらも。

「養われるのが嫌だってのは判ります。だから、オレに家賃入れて、食費はイルカ先生持ちって事で譲歩してくれませんか?」

言った内容に、イルカはポカンと口を開け、そして引っかかったらしい言葉に首を傾げた。

「何で食費だけ…?」

生活費と言われるのは判る。
だが何故、食費だけが上げられたのか、イルカには理解できなかった。

「正直、どれだけ掛かるか判らないんですよ…家賃とか、光熱費とか、その他諸々。多分オレの方が電気代とか水道代とかかかると思うんで…」

「確かに、節約とか縁遠そうですよね、カカシさんは」

言い募るカカシの言葉に、イルカが小さく笑う。
言い綴った内容が否定されない事に後押しされ、カカシは更に言葉を乗せる。
人生で最大級に、大切な言葉を。

「一生面倒見て貰えたら嬉しいんですけど」

「一生…?」

鸚鵡返しに問い返され、気恥ずかしさを覚えるが、しかしこれはカカシなりの求婚の言葉なのだ。

「ダメですか?」

手に汗を握り、イルカの返答を促そうと様子を伺えば、カカシの胸の上、イルカは何かを考え込み、やがてポツリと口を開いた。

「……今回の墓参り…」

唐突に話題が飛び、カカシは自分のプロポーズを無かった事として流されるのかと眉尻を下げながらも、イルカの言葉を待てば、思いもしなかった台詞がイルカの口から告げられた。

「墓参り…本当は、カカシさんと一緒に行きたかったんです」

「…え?」

困ったようなイルカの表情に、カカシは困惑する。
困ったような、だけど泣き出しそうな表情で、イルカは真っ直ぐにカカシの目を見据えて告白した。

「両親にアナタを紹介したかったんです…俺の一番大切な人だって…今まで生きてきた中で一番大切で、これからもずっと一緒に居たい人だって…言いたかったんです」

最後の語尾は小さくなり、イルカは目の前にあるカカシの胸に頬を埋めてしまう。
だけど髪から覗く耳朶は、見間違えようも無い程に赤く染まり…。

「先生?」

「結局一人での墓参りでしたけど、ちゃんと報告してきましたから!」

「報告って…」

「大切な人が出来たよって」

イルカの告白に、カカシは固まる。
不意打ちで告げられた『好き』を交えない愛情の言葉に。
ポトリと落ちてきたあまりの幸せが信じられず、マジマジとイルカの赤い耳を眺め、詰めていた息を吐いてイルカの体を力一杯抱き締める。

「…参った。イルカ先生男前過ぎ。オレは諸手を挙げて、アナタに降伏するしか無いじゃないですか〜」

嬉しさのあまり、そして照れくささが募って、お互いに顔など見られない。
胸に縋るイルカの頬が、擦り寄るようにカカシに懐き、お互い幸せが溢れて笑い出しそうだった。 

「降伏、ですか?」

可笑しげにクスクスと笑うイルカの声が優しく耳を打ち、カカシの体に甘い痺れがゆるりと広がる。
抱き込んだ体を支えたままゴロリと反転し、上からイルカに囁いた。
殊更甘く、強請るように。

「アナタの男前な愛情に、オレは常に無条件降伏です」

途端、イルカの笑いが弾け、それでも背に回された腕に、カカシは幸せを噛みしめた。

【完】

文章目次

8月分の無料配布でした〜。
7月に比べて持っていって下さる方多くて、嬉しかったです。
次回は10月配布予定ですが、それ以降イベント出席しないんですよね…。
会場によって出席の有無を決めてるのですが、如何せん、11月〜1月は
出席する気の起きない会場で…。次回分でこのシリーズは終わりにしますが、
配布自体はイベント参加する限り、止めないかと思われます。