憩いの木。




【 SIDE : I 】
里に常駐し、アカデミーで教鞭を取って、偶に受ける任務は里内中心。
自分の現状を思い返して、イルカは深く溜息をつく。
別に自分の選んだ道を悔いてはいないし、この立場を卑屈に思ったりもしない。
ただ、自分の横で幼子のように眠る上忍にとって、自分は温い里の空気の象徴なのかもしれないと思ったのだ。
木が根を張るように里に腰を据え、その枝々を伸ばすが如く後進を育成する。
そんな事を思い、自分はまるで木だと、不意に思った。
自分が木ならば、カカシはさながら旅人だろうか。
フラリと現れ、木の下で微睡み、そして旅立つ。
今は気紛れを起こして、木が伸ばす枝の囀りやその根元に訪れる小動物の動きを楽しみ、梢や葉の合間から零れる木漏れ日に目を細めて、楽しむ。
いずれ飽きたら旅立つのだろう。
木の根本から立ち上がり、大きく伸びをして束の間の微睡みを払拭し、彼は知らぬ土地を目指して歩き出す。
そんな自分の想像に、イルカはひどく悲しい気分になった。

カカシの戦歴も、女に関する華々しい遍歴も、嫌と言う程耳にした。
言い寄る女── 戦場においては男も含めて、それらは数知れず。
数多の花々を袖にして、どうして花も実も持たぬ自分を選んだのかが不思議だった。
熱心に口説かれ、気付いたら絆されて始まったこの関係も、気付いたら戻れない場所にまで来て居た。
元々、一度懐に入れてしまったら、際限無く与えるという性質を自分は持っている。
望まれる侭に、体も心も開いて与え、イルカの中にはもうカカシに与えるべきものは存在しなかった。
だから不安になる。

いつ、彼が自分の元から旅立つのか。

花を咲かせない。当然、実を付ける事も出来ない男の体。
硬く筋肉質で、柔らかいと言えばカカシしか知らない内部だけだろう。
種を巻かれても孕む心配も無く、後腐れのない不毛の畑。
手を出すには確かに手軽な存在だったと自分事ながらに頷いてしまう。

「疲れた時に、あたりを見回したらたまたま寄りかかるのに丁度良い木があった…だよな」

呟けば、その言葉は必要以上に棘を含み、イルカの心臓に深く突き刺さる。
幼い頃から、酷い任務ばかりを請け負っていたカカシと言う存在。
それを許容し、受け止める里に根付いた木。
大地に根付いてしまった足では、彼に付いて行くことすら出来ないのだ。
一歩、一歩と彼が踏み出す度に、遠くなる背中をただ見つめて終わる。

「それでも…」

愛おしいと思う気持ちは溢れ続け、枯れる気配は見せない。
ならばとイルカは覚悟を決める。
カカシが里に留まる時間だけでも、彼が寄りかかる「木」に徹しようと。
憩い、癒し、息がつける空間を作り続けよう。
森が酸素を作るように汚い感情は地下に抱き込んで、彼に晒すのは見苦しくない空気。
イルカは眠るカカシに寄り添い、その背に腕を回す。
ゆったりと絡めた腕に、ほんのりとした体温が伝わるのを悲しいと思う自分が嫌だった。

「おやすみなさい」

カカシが去った後、イルカと言う名の木は、確実に腐り倒れるだろう。
新芽の存在すら無く、それこそ跡形も無く。
与えられていた「愛情」という養分は、他の存在では取り替えが利かないのだから。
その時を思って唇を噛めば、ただ涙が頬に流れた。





【 SIDE : K 】
初めてイルカが子供達を相手にしているのを目にした時、ああこの人は里に根付く大樹なのだと思った。
里と言う大地に根を下ろし、広げた枝で子供達を庇護する。
イルカのもとではしゃぐ幼子達は、まるで大樹に集う小動物のようにも見えた。
当然、カカシが担当する3人の子供達も、ご多分に漏れず。

「子キツネ、子猫、子兎ってトコかね〜?」

元担任の姿を目聡く見付けて駆け寄る姿に、最初は面白く無いものを感じたが、やがてそれはイルの人となりを知るにつけ、薄らぎ、何時しか自分まで彼の虜になってしまった。
全てを分け隔て無く扱うイルカ。
今ではそれが、少し気に入らない。
抱く気持ちが恋愛なのか自覚すらしていなかった時から、口説きめいた言葉を口にしてイルカを困らせた。
そして思いを自覚してからの自分は少し凄かったと、カカシは自分の行いを思い出して嘲う。
目を凝らせば、ライバルだらけの状態だったのだから。
早く自分の腕の中に落として、独占しなければと本気で焦ったのだ。

「ちょっとストーカーちっくだったかも」

会えば条件反射のように口説き文句を口にし、イルカに隙があれば所構わず抱き締めた。
腕の中に感じる硬質な感触に、彼が花も実もつけぬ男である事実を突き付けられる。
それでも尚、募る想いは留まるところを知らず、溢れてイルカへと流れた。
過去の行状は変えられずともせめてと思って、イルカを口説き始めた時点から修行僧のような禁欲生活を送り、煮詰まってきた頃だった。
恐らく絆されてくれたのだろう。
イルカがカカシの口説きに、頬を紅潮させて頷いてくれたのだ。
あの時の感動は忘れる事は出来ない。
同僚には「恋は盲目」だと揶揄われたが、カカシの目には確かにイルカは可愛く見えるのだ。
そして可愛い可愛いと思い続けて来たが、顔を真っ赤にしてこちらを睨むように見据えるイルカの顔は、今まで見た彼のどの表情よりも可愛くて、愛おしかった。
口説く時間が長かったせいだろうか、そこから先の交渉は意外と早く辿り着いてしまった。
彼が何を思って自分に体を開いてくれたのかは判らない。だが、体を差し出してくれた事で、イルカの心を確実に手に入れたと、その時カカシは有頂天だったのだ。
あの、頭の固いイルカが自ら足を開き、奥深くまでカカシが沈むのを許した。
それだけで、酷く幸せだった。

「花は無いけど、樹液に集る虫みたい」

花をつけないが故に、実も成さない。
そんな彼の体に、夜毎、無駄な種を撒く自分。
無駄だと判っていながらも、彼の胎内に自分の匂いが染み込めばとさえ思ってしまうのだから、始末に負えない。
里に根を張る、憩いの木。
それは誰のものでも無く、恐らくは万人のもの。
いつか、とカカシは野望を抱く。
里という土壌から根こそぎ引っこ抜き、カカシしか愛でる事の出来ない隔たれた庭に彼を植え替えれたら。
想像するだけで、それは何て幸せな光景だろうか。
日差しの下、カカシだけに向かって枝を広げて、自分だけをその根本に寄せるのだ。
例え、その根に毒が含まれていようとも構わない。
今は見えない、土の下。そこにはどんなイルカが隠されているのだろうか。
件の中忍昇格試験以降、イルカとカカシとの間に大きな諍いは存在しなかった。
それが少し寂しいとカカシは思う。
喧嘩は、内面の吐露のようなもので、そこから相手を知ることも少なくは無いのだから。
今のイルカに不満がある訳では無い。ただ不安があるのだ。
偶に垣間見る思い詰めた表情と、遠くを見る目。それが物語る押し殺した感情。

「アンタがオレにくれる感情なら、どんなドロドロしたものでも見たいのに」

呟きは寝息と共に、静まりかえった部屋に溶けて消える。
疲れて眠るイルカには届かずに。

文章目次

擦れ違い。はい、好物です、擦れ違い。
相手が良く見えるのは、「相手より自分の方が好き」
っていう思いこみかも。