イルカは今日も皮膚を抉る。
抉り、膨れた肉に指を突き刺し刮げ落とすのだ。
そうしないと数日の内に、爛れて腐り落ちてしまう。
グチュリと脂肪の膜を越え、爛れた部分を掻き分ければ、熟れた果実の匂いが部屋に充満する。
何時からだったろうか。
こんな体質に変化してしまったのは。
幼い頃はごく普通の体だったと記憶しているし、自分や近しい者が今のように皮膚を抉り取った事は無かった筈である。
何を境になのか、イルカは奇病としか言いようのない病に罹患した。
一定の周期で体のどこかの皮膚が赤く熟れ、その部分が僅かに膨らみ、触れば柔らかい感触が指先に残る。
そしてその部分からは、南国の果実に似た熟れた香りが漂うのだ。
初めてそれを目にした時は驚いた。
皮膚が赤くなったと思った数日後、柔らかくなった表面の皮が小さく裂け、中の脂肪と筋組織が垣間見えたのだから。
思わず放った絶叫は、今でも耳に残ってる。
その後、何回か同じような症状になる度に何時しか慣れてしまい、ある日興味本位で自分でそこに指を突き立てたのだ。
指先が肉にめり込む感触に、背筋が粟だった。
抉った部分の芳香に誘われ、馬鹿な事をと思いつつも自分で自分の肉に口を寄せ、食んでみた。
「…甘いんだよな」
匂いに違わぬ、熟れた果実に近い味。
酸味のない、ただただ甘い蜜の味。
禁忌の味とはこんな感じなのだろうかと、唇に付いた血を舌先で拭いながら思ったのだ。
そして今現在、理由も判らず、故に治療法も無く、ただ熟れる周期で皮膚を自分で抉るのだ。
不思議な事に抉り去った部分の欠けは、表面を包帯等で覆っておけば数時間で補充され、数日で周囲の皮膚と見分けが付かなくなる。
今回は左の手首から肘にかけて、前回は右の太股。その前はどこだっただろうか。
「不思議と顔から上と腰回りには出ないなぁ」
暢気に呟きつつもそれはそれで有り難い事だと、イルカは笑う。
背中に出来た時など、病院に駆け込み抉って貰ったのだから。
指で掻き分けたせいでグチャグチャになった左腕を眺め、今日もイルカは甘い芳香に酩酊感を覚えながら唇を寄せて歯を立てる。
爆ぜる頼りない果肉。
甘く滴る赤い蜜。
これを口にするのは自分だけ。
ぼんやりと思った瞬間、酷く寂しいと思った。
そして気付く。
浅ましい自分の気持ちに。
「…俺は、誰かに自分を食い散らかして欲しいのか…?」
想像しただけで悪寒にも似た震えが、体を駆け抜けた。
誰かが自分に寄り添い、熟れた部分に顔を寄せて歯を立てる。
その人が咀嚼する度に上がる芳香。
咀嚼し、嚥下される自分の体。
それはその人の糧となり、吸収され、体を構成する組織と成り得るのだ。
巡る思考に目眩を覚える。
それはなんて幸せな光景。
糧として必要とされる。
生きる為に必要なものとして、摂取される。
「…いつか、俺を食ってくれる人が現れるのかな…?」
現れたなら、自分はきっと全てを与えてしまうだろう。
熟れた肉だけではなく、自分という全てを。
頭から食らいつくして、欠片も残さないで欲しい。
全部あげるから。
残さず食って。
甘い匂いが充満する部屋で、イルカはそんな幸せの光景にうっとりと笑った。
赤く滴る左腕を抱えて。
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思いつき小話。
カニバリズムとは違う、需要と供給の関係。
この後、食べる人と出会うんでしょうけどね。
うっとりと食べそうだよ、あの上忍!