充満する熟れた果実の匂いに目眩を覚えながら、カカシは目当ての箇所をじっと眺めて指を這わす。
うっかりと潰さないように、優しく撫でるように。
触れると一瞬小さく身じろぐ熟れた赤。
薄く張った表皮の下、赤く爛れた果肉が自分の歯で弾けるのを待っている。
じっと赤い皮を眺めれば、白い膜から透けて見える青い筋の脈動。
緩慢で、ひどく遅いその速度は機能を放棄した徴であり、食べ頃の頃合い計る合図でもある。
これは果実の持ち主も知らない、カカシだけの特権だったりするのだが。
緩い脈動が更に遅くなったのを見計らい、誘われるように唇を寄せる。
舌先で触れて弾力を確かめ、【糧】となる果実に感謝のキスを落とす。
その光景はまるで異教徒の食前の祈りにも似て、カカシはさながら敬虔な信者にでもなった気分だった。
触れる口づけを落とし、歯を立てる箇所を小さく吸うと、果実は爆ぜるのを心待ちにヒクンと揺れた。
「いただきます」
行儀良く食事の挨拶を呟いて、熟れて膨張を見せる赤い薄皮に歯を立てた。
── ブツリ。
抵抗無く歯がめり込んだ感触に、カカシは微笑む。
口の中に流れ込む果実の甘く芳しい果汁。
更に薄皮を舌先で抉り、真っ赤に滴る蜜を啜って果肉へと辿り着く。
顎に力を入れて噛みしめれば、柔らかく甘いそれが口内に滑り込んで来る。
ゆっくりと咀嚼し、味わってから飲み込む。
嚥下した塊が食道を伝い胃に落ちていく感触に、恍惚すら覚えた。
あまりにも幸せで。
「…おいしいですか?」
至近距離で尋ねられた言葉に、カカシは即座に頷く。
極上の味。
酷く甘く滴る程に濃密な。
今まで口にしたことのない、禁忌じみた楽園を思わせるそれ。
「それは良かった」
心底ホッとした声音で彼は笑う。
肩口から真っ赤な体液を流し、抉れた傷口をそのままに。
凄惨な姿に合わない表情に、判っていてもカカシは不安になる。
「イルカ先生、痛くない?」
「大丈夫ですよ…前にも言った通り噛まれてる触覚は鈍くあるんですけど、痛覚は真っ先に無くなるみたいですから」
「そう? じゃあまだ食べてもいい?」
「はい」
そんな会話の合間にも、イルカの肩口からはダラダラと血が流れ、少しトロリとしたそれが緩い速度で下降する。
胸から腹を辿って、閉じたイルカの足の付け根には赤い液溜まりが出来ていた。
血液にしては透明度のある、濃密な赤い滴り。
「ああ、勿体ない」
イルカの肌を流れるそれをカカシは舌で追いかけ、胸元をわざと掠めて舐め上げながら肩口へと戻る。
そして再び歯を立てて、先程自分がグチャグチャに抉ったイルカの皮膚を再度食い破り、肉を食む。
うみのイルカは奇妙な体質を持っていた。
定期的に体のどこかが果実のように熟れ、芳香を放ちながら爛れるのだ。
その光景は本物の果実の様に似て、張った皮膚はプラムの皮のようで、脂肪や筋肉は赤く瑞々しい。
当然そこの部分の血液も果汁となり、甘い極上の甘露と化す。
初めてこの現象を目にした時は驚いた。
そして「食べて」と言われた時はもっと驚いた。
最初は怖くて口を寄せる事すら出来なかった過去の自分が、今となっては懐かしい。
真っ赤に薄く膨張したイルカの肌。
そのあまりの光景と、似つかわしくないセリフに戸惑うカカシの目の前で、イルカは熟れた自分の腕に歯を立てその部分を啜った。
そしてカカシへと口づけた。
それが始まりだった。
口の中に広がった、味わった事の無い極上の甘露の味。
充満する果実の匂いに恍惚となり、いつしかイルカの腕を捧げ持ち貪っていた。
噛みついてからイルカが心配になって見上げれば、酷く嬉しそうにカカシを見つめ微笑んでいた。
カカシの髪を緩い仕草で撫で、「美味しいですか?」と口にする。
そしてそのままの体勢で聞かされた、イルカの体質と言うか、奇病じみた原因不明のこの現象と、抉れた肉が再生するのだという事実。
再生の一言に、カカシはホッと胸を撫で下ろしたのを覚えている。
食べてしまってから気付く自分に呆れつつ。
そして今、一定の周期でイルカが熟れる度に、カカシはその肉を食らうのだ。
噛み、咀嚼し、嚥下する。
体に直接取り込む、愛しい人の肉片。
いずれそれは吸収され、カカシの体を構成するものへと変わるだろう。
まさに、生きる為の糧。
「太腿しっかり閉じててね、そこに溜まったのも全部オレのだから」
目の前にあるイルカの耳に吹き込めば、カカシが示す場所へとぼんやりとイルカが視線を落とした。
糖度を含んだ赤い液が溜まるのは、しっかりと閉じた剥き出しの局部。
途端、頭を叩かれた。
「ばか」
小さくつかれた悪態が可愛いとカカシは赤く汚れた唇のまま、イルカに口づける。
肩から流れる果汁の量が減って来たのを見ると、今回の分はもうそろそろ食べ尽くすらしい。
カカシは顔を伏せ、最後の肉片に噛みつく。
何度食べても飽きない、油断をすると貪ってしまいそうなそれに。
「全部…俺の全部をあげるから、残さず食べて下さいね」
貪るカカシの耳に吹き込まれた言葉に、肌が粟だった。
心を見透かされたのかと一瞬驚いたが、同時にジワリと暗い欲望が心の片隅に、頭を擡げたのを感じた。
イルカの全部を食べる。
それは何て魅力的な誘いだろう。
しかし、と瞬時に我に返る。
食べてしまえばそれで終わりという事実。
食べ尽くしたい。
だけど、食べ尽くせない。
愛しているから美味しく感じる。
愛しているから、存在を無くせない。
「先生の全部は貰うけど、全部は食べれないよ」
言えば悲しげに歪む、イルカの顔。
カカシはイルカの肩に残る最後の果汁を啜り、肌に残る果汁の雫を舐め取って顔を上げた。
そしてイルカの頬に手を添えて真っ直ぐに見据える。
黒く濡れた瞳は、赤い果実よりも酷く魅力的だった。
「食べちゃったら…イルカ先生は居なくなっちゃうじゃない」
「でも…」
「そんな勿体ないこと出来な〜いって言ってんの。こうやって定期的に熟れた部分だけは有り難く頂くけど、食べ尽くしちゃうのはオレが許せない…きっと後悔するんだ、イルカ先生が居ない世界に一人で」
「カカシさん…」
「だからね、オレが食べ過ぎたら叱ってね?」
言って口づければ、降ろされる瞼に黒い瞳が隠れてしまう。
甘い果汁が残る舌をイルカに与え、唾液と混ぜてお互いに飲み込む。
チラリと見れば、イルカの足は言いつけ通りに閉じられたまま。
まずはそこから味わおうと、カカシは身を沈めながら笑った。
← 前頁
思いつき小話の続き。
こっちの方が長いのは、な〜ぜ〜?
本格的に書いたら、凄く長くなりそうです。
多分「食べて」と言い出すまでが、大変そう。
そして食べたら無くなるのは基本です。
…菓子とか料理とか、作った後が虚しい…。
せめて、味わって欲しいよね?